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東京地方裁判所 昭和51年(行ウ)56号 判決

原告

大竹由利子

右訴訟代理人

鈴木篤

被告

王子労働基準監督署長

安原信明

右指定代理人

小沢義彦

外三名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実《省略》

理由

一原告が昭和四七年四月六日大日本ポリマーにパートタイムの従業員として雇用され、その後同年八月一八日までの間請求原因1の(一)記載の各業務に従事したこと、原告が同年九月八日清宮接骨院で診察を受け、その後同年一〇月一四日まで通院治療を続けたこと、右接骨院の所在地、診療担当者、診断名が請求原因2の(一)記載のとおりであること、並びに請求原因3の(一)及び(二)記載の各事実は、いずれも当事者間に争いがない。

二そこで、まず、原告が昭和四七年九月八日清宮接骨院において診察を受けた当時頸腕症候群に罹患していたか否かについて検討する。

1  まず、右接骨院における原告の傷病の診断名が右肩部捻挫、右上腕部、左上腕部、背部、頸部各打撲となつていること、原告はその後請求原因2の(二)記載の各病院(接骨院、医院を含む。)においても診断を受けたが、その各診断名が、館岡接骨院では右肩関節、頸部各捻挫、大原医院では右胸、肩、肋間神経痛、岸病院では頸腕症候群、腰痛症、国立王子病院では頸腕症候群の疑い、東京女子医大第二病院では右外傷性肩関節炎、左肩関節周囲炎であつたことは、当事者間に争いがない。

2  そして、〈証拠〉によれば、次の各事実を認めることができ、〈証拠判断略〉

(一)  清宮接骨院での診断

原告は、昭和四七年九月一一日にはじめて清宮接骨院で診察を受けたが、原告は、その際、診療担当者(整復師)の清宮秩男に対し、右肩部を負傷したとしてその原因として、同月八日に自宅付近の歩道橋の階段を降りていたとき、誤つて足を踏み外し手を強くついて負傷した旨申し述べ、さらに同月一三日に診察を受けた際には、右とは別個に新しく左右上腕部、背部等を負傷したとしてその原因として、同日自宅で出入口の段を降りようとして誤つて足を踏み外し転倒した際に負傷した旨申し述べた。これに対して、清宮秩男は、初診の九月一一日には、原告の申述と、原告の右肩部にかなりの腫脹があり、本人がその部分の疼痛を訴えていたことなどから、右肩部捻挫と診断し、また、同月一三日には、原告の申述と、原告の左上腕部等に腫脹や青あざのあるのが認められ、本人がその部分の疼痛を訴えていたことなどから、左右上腕部、背部、頸部各打撲と診断し、いずれもその後同年一〇月一四日まで、温罨法と後療法(マツサージ等)とを施した。そして、その結果、一〇月一四日の時点では、原告の疼痛は幾分残つていたが、腫脹や青あざは治癒していた。

なお、原告は、同年一〇月に入つてから、清宮秩男に対し何かの証明書の作成を求めた際、右肩部の負傷の原因を訂正して、会社にて作業中投げ出された木の棒につまづき、よろめいて転倒し手を強くついたため負傷した旨申述している。しかし、原告がこのように右肩部の負傷の原因を訂正した理由は明らかでない。

(二)  館岡接骨院での診断

原告は、昭和四七年一〇月三〇日にはじめて館岡接骨院で診察を受けた際、診療担当者の館岡敏雄に対し、右肩部等の負傷の原因として、同月二九日に自宅玄関で降りる際に負傷した旨申述したほか、八月ごろにも肩に疼痛があり、一〇月初旬まで清宮接骨院で治療を受けたことをも申し述べている。これに対して、館岡敏雄は、前記のとおり「右肩関節、頸部各捻挫」と診断し、同年一一月二一日まで原告を治療した。

(三)  岸病院での診断

原告の岸病院での診断名は、「頸腕症候群、腰痛症」となつているが、同病院の診療録の既往症、原因、主要症状等欄には、「八月に仕事中、重い物を持つて上げおろしをした、翌日右手のみ動かせた、右上肢、頭、頸、肩に及ぶ筋痛及び腹部筋痛」、「咽頭痛、せきあり」等と記載されており、また、同病院の医師岸広豊作成の診断書には、主訴及び自覚症として、「右後頭部より頸肩上腕に及ぶ筋痛及び腰部筋痛」と、他覚的所見として、「(1)症状、治療経過 来院時神経症状著明にして運動障害は認められない、レントゲン検査(頸椎、右肩、腰椎)にて特筆すべき所見は認められず、理学療法(斜面牽引、マツサージ)、腰部は熱気浴、マツサージ及び注射、外用剤、内服薬等にて経過観察するに、漸次諸症状軽減するも、なお、神経症状持続する、(2)検査結果及び所見 レントゲン検査にて骨折等なし、頸椎生理的湾曲転反不良あるも、特筆すべき所見なし」と、さらに、発病原因についての医学的意見として、「つかれによるものの他に精神的な何かがある為に神経症状が出て来たものと思われる、」とそれぞれ記載されている。

なお、原告が昭和四七年七月一八日の出張検査作業中に重い物を持ち上げたりしたため肩、腕等を痛めた旨医師(整復師等を含む。)に話したのは、この岸病院がはじめてである。

(四)  国立王子病院での診断

原告の国立王子病院での診断名は、「頸腕症候群の疑い」となつているが、同病院の診療録の原因と経過欄には、「昨年八月重い物を持つて翌日から右腕が動かない、医師、骨接師などで治療を受けた、右肩の痛み、背中の痛みあり」等と記載されており、また、同病院の医師西法正作成の診断書には、主訴及び自覚症として、「右肩関節痛及び背部痛」と、他覚的所見として、「(1)症状、治療経過 背椎側彎あり、右肩関節運動は可動域正常、運動時轢軋音あり、外来にて牽引療法、ホツトパツク療法を通院治療す、(2)検査結果及び所見 レ線検査では特に異常を認めず、」と、さらに、発病原因についての医学的所見として、「発病原因不明」とそれぞれ記載されており、なお、右診断書の末尾には、註として、「患者の訴えが多く、その割に他覚的所見は余り認められず、治療を止めて良いのではないかと患者に話した、精神的な因子も考えられるケースであつた、」と記載されている。

(五)  東京女子医大第二病院での診断

原告の東京女子医大第二病院での診断名は、「右外傷性肩関節炎及び左肩関節周囲炎」となつているが、同病院の診療録によれば、原告は、昭和四八年四月四日に前者との診断を受け、同年五月二二日に後者との診断を受けている。そして、同病院の医師香取勲作成の診断書には、主訴及び自覚症として「右肩関節痛」と、他覚的所見として、「(1)症状、治療経過 肩腱板の付着即ち大結節付近に圧迫による痛みあり(強度)、運動時疼痛あり、その他関連痛あり、即ちリンゴをむくにも痛くて出来ない、コツプを落すことあり等、治療、この付着部(肩腱板)の局所に対しステロイド、キシロカイン注を繰り返すとともに理学療法を行い、強度の炎症々状はとれてきている、(2)検査結果及び所見 レントゲン写真上異常なし、RA〓、CRP〓、血沈(1、3、8)、」と、発病原因についての医学的所見として、「三五才という年令から言つても四〇肩あるいは五〇肩とは言えず、所謂軽度の外傷から来る腱板の損傷から二次性に外傷性肩関節炎を続発したものと考える、なお、他覚的には具体性はないのは確かであるが、圧痛点、運動時の疼痛性の可動域の小さくなつている事等は、臨床的な経験にゆだねるほかはありません、」とそれぞれ記載されている。

3  さらに、〈証拠〉によれば、次の各事実が認められる。

(一)  久保田栄医員の意見

被告は、原告から本件休業補償給付の請求を受けた際、東京労働基準局医員久保田栄の意見を求めたところ、同医員は、昭和四八年六月一八日付の意見書で、「(1)本人の作業は手指を酷使する作業でなく、昭和四四年一〇月二九日基発第七二三号通牒に記載されてある頸肩腕症候群に該当するものと認め難い、(2)本人の昭和四七年八月一八日の作業は重さ一〇乃至一五キロ程度のものを取扱つただけであり、肩腱板損傷を来し得ることは考えられず、特に肩関節炎を起し得ることを推定し難い、」などと述べている。

(二)  石川道雄医師の意見

東京労働者災害補償保険審査官は、原告から本件の審査請求を受けた際、東京厚生年金病院医師石川道雄の意見を求めたところ、同医師は、原告を直接診察するとともに、東京大学医学部神経科講師万年徹の意見をも徴したうえ、昭和四八年一二月二六日付の意見書を提出した。そして、同医師は、その意見書で、原告の主訴及び自覚症として、「頸肩がいたむ、右肩関節の動きが悪い、右上肢がしびれる、力がない、すぐつかれる、両膝も時々いたむ、」と、依頼事項にかかる意見(検査成績等)として、「頸椎運動障害ないが疼痛を訴える、胸、腰椎運動障害なし、右肩関節、視診異常なし、可動域正常であるが、内外旋、最大挙上時疼痛を訴える、右上肢、知覚鈍麻を訴えるが、境界不明、筋力低下あると思われるが、筆記可能、ボタンをはめる、はずす可能である、腱反射正常、病的反射なし、左上肢、両下肢、可動域正常、筋力ほぼ正常、腱反射正常、病的反射なし、レ線所見、頸椎正常、右肩関節正常、」と、綜合意見として、「訴え多いが、腱反射正常であり、知覚障害も境界不明で、筋力低下も客観性に乏しい、先ず神経学的に異常はないものと考える、心因性要素が強いと言う印象をうけた、」などと述べている。

なお、同医師は、本件訴訟の証人としても、原告を診察した昭和四八年一二月当時原告が頸腕症候群に罹患していたことを否定する趣旨の証言をしている。

4 以上のとおり、原告が昭和四七年九月八日以降に診察を受けた各病院(接骨院、医院を含む。)での診断内容には相互にかなりの差異があるところ、本件訴訟においては、右のいずれの診断が正当であり、また、不当であるか(もつとも、右の各病院での診察時間にも差異があるので、特定の診断だけが正当で、その他の診断がすべて不当となるわけではないと思うが。)を正確に判定するに足りる資料がない。従つて、原告が昭和四七年九月八日清宮接骨院で診察を受けた当時同人が頸腕症候群に罹患していたことを全く否定することはできないものの、これを積極的に肯定することもまた困難であるといわなければならない。

三次に、仮に原告が昭和四七年九月八日当時頸腕症候群に罹患していたとしても、原告が同年四月六日以降大日本ポリマーで従事した業務と原告の右罹患との間にいわゆる相当因果関係を認めることができるか否かについて検討する。

1  まず、原告が大日本ポリマーで従事したボトルへのフイルム差し作業、ボトルの箱詰め作業及び出張検査作業の各内容等について検討する。

(一)  ボトルへのフイルム差し作業

ボトルへのフイルム差し作業が、作業台上に置かれた段ボール箱の中からボトルを一個ずつ取り出し、これに商品名等の印刷されたプラスチツク製のフイルム(被膜)をすつぽり被せたうえ、そのフイルムを収縮させてボトルに定着させるための乾燥炉に通じるコンベアーの上に一定の間隔を置いて取り付けられた金具(鉤)にボトルを引つかけてゆく作業であつたこと、その作業時間が通常午前九時から午後五時までであり、途中一時間の昼休み時間があつたことは、当事者間に争いがない。

そして、〈証拠〉を総合すると、フイルム差しの作業には、立つて行なう作業と椅子に腰をかけて行なう作業とがあつたが、いずれも作業台上に置かれた段ボール箱の中からボトルを取り出して、作業者の体の近くを流れるコンベアーの上の適当な高さにある金具にボトルを引つかけてゆけばよく、作業者が腕を原告主張のように大きく上下させる必要もなければ、腰を屈める必要もなかつたこと、コンベアーはそれほど速く流れているものではなかつたし、作業者は各自のペースで作業を行なえばよかつたこと、ボトル一個当りの重量は三〇グラムないし五〇グラムでそれほど重いものではなかつたことが認められ、〈証拠判断略〉

(二)  ボトルの箱詰め作業

〈証拠〉を総合すると、次の各事実を認めることができ〈る〉。なお、これらの事実のうち、ボトルの箱詰め作業に従事する者にはパートタイムの従業員が多かつたこと、その作業の作業時間は通常午前九時から午後五時までであり、途中一時間の昼休み時間があつたことは、いずれも当事者間に争いがない。

(1) ボトルの箱詰め作業は、成型、印刷、加工(フイルム差しを含む。)等の終了したボトルを、それに印刷された文字や貼付されたラベルにゆがみ、ぶれ等がないかどうかを検査しながら、取引先へ発送するための化粧箱に詰め込んでゆく作業であつて、昭和四七年当時その化粧箱には、二四本入りのものと、六本入りのものとがあり、二四本入りの箱には作業者が両手に二本ずつのボトルを持つて詰め込み、六本入りの箱には作業者が両手に三本ずつのボトルを持つて詰め込むのが通常であり、その作業量は一分間に約六〇本位であつた。なお、ボトルの中は空であつて、一個当りの重量は三〇グラムないし五〇グラムであつた。

(2) ボトルの箱詰め作業には、右(1)のような作業のほかに、これに付随する作業として、ダンボール紙で化粧箱を組み立ててその中に中仕切りを入れる作業、ボトルを詰めた箱を糊つけ機で糊つけする作業、その箱を結束する作業等があり、これらの作業は作業台の上に設置されたローラーを利用して流れ作業の形態で行なわれていた。そして、昭和四七年当時原告の働いていた作業場には、これらの作業のための作業台が二台設置されており、一台の作業台につき八名ないし一〇名位の作業者が一組になつて作業を行なつていた。もつとも、常に二台の作業台が使用されていたわけではなく、仕事の暇なときや、作業者の少いときは、一台のみが使用されていた。

(3) これらの作業に従事する者にはパートタイムの従業員が多く、その中には時々欠勤する者や午前中だけまたは午後だけ出勤するという者もあつたが、大日本ポリマーでは常時多い目のパートタイマーを雇つたり、仕事の繁忙時には正規の従業員に応援させたりしていたので、時に多少の残業はあつたものの、作業者が不足したり、特定の出勤者について労働強化が行なわれたりするようなことはあまりなかつた。また、これらの作業に従事する者には女子の従業員が多かつたが、箱の糊つけ作業、結束作業等の体力を必要とする作業には主として男子の従業員が当たつていた。

(4) これらの作業時間は通常午前九時から午後五時までであつたが、途中に一時間の昼休み時間があつたほか、午後三時ごろにも一〇分間ほどの休憩時間が設けられており、トイレ等へ行くことはもとより、就業時間中の会話も比較的自由に認められていた。そして、これらの作業はいずれも立つたままの姿勢で行なわれるため、足は疲れたが、手指、腕、肩等に過度な負担のかかるようなことはなかつたし、作業者が精神的に追い立てられるというようなこともなかつた。

(5) 原告は、ボトルの箱詰め作業に従事中、その上役に対し作業がきついとか、身体がきついという申し出をしたことはなかつたし、また、その前後を通じ、その他の従業員や労働組合からも、そのような申し出のされたことはなかつた。なお、原告は、本件休業補償給付の請求ないしその審査(再審査を含む。)請求の段階においては、昭和四七年八月一八日の玉の肌石鹸への出張検査作業がきつかつたとは述べているが、それ以前に従事したボトルの箱詰め作業がきつかつたとは述べていないし、本件訴訟での本人尋問においても、ボトルの箱詰め作業に従事中は、夕方帰宅後、足には疲れを感じたが、腕にはそれほどの疲れを感じなかつたと述べている。

(6) 原告がボトルの箱詰め作業に従事していた昭和四七年当時は、ボトルの成型、印刷、加工(フイルム差しを含む。)等の作業場と、ボトルの箱詰め作業の作業場との間は、ベルトコンベアーなどによつて直結されてはおらず、成型、印刷、加工等を終つたボトルは、一たん通函と呼ばれるダンボール箱に入れられたうえ、入手によつて箱詰め作業の作業場に運ばれていた。そして、ボトルの箱詰め作業者は、通函の中からボトルを取り出し、これを化粧箱に詰めていた。従つて、その作業者がベルトコンベアーに追い立てられるというような状況ではなかつた。もつとも、その当時も、箱の糊つけ作業には、コンベアーが使用されていた。

(三)  出張検査作業

出張検査作業は、大日本ポリマーから出荷したボトルについて取引先から印刷ミス等の不良品があるとの通知があつた場合に、取引先まで出かけて出荷全部について不良品が混じつているかどうかを再検査する作業であつたこと、この作業はすでに内容液の入れられたボトルの再検査をするものであつたこと、原告が昭和四七年八月一八日に玉の肌石鹸への出張検査作業に従事したことは、いずれも当事者間に争いがない。

そして、〈証拠〉によれば、原告は、右の玉の肌石鹸への出張検査作業には、他の数名ないし一〇名位の男女従業員(アルバイト学生を含む。)と共に出かけ、午前一〇時三〇分ごろから午後三時三〇分ごろまで(昼休み一時間を含む。)その作業に従事したこと、その際、原告は、内容液の入つたボトルのラベルミスの検査作業のほかに、そのボトルが詰め込まれた段ボール箱の積み降しや運搬の作業をも手伝つたこと、その箱の一個当りの重量は重いもので約一五キログラムあつたことを認めることができる。

なお、原告は、玉の肌石鹸への出張検査作業中に肩、腕等に痛みを感じるようになつたというが、原告本人の供述以外には、このことを直接に裏付ける証人の証言等の証拠はないし、また、原告がこのことをはじめて医師に話したのは、前記認定のとおり、岸病院においてである。さらに、原告は、右のほかにも二度ほど出張検査作業に出かけたことがあると主張するが、その具体的な日時、場所、作業内容等については、何ら立証がない。

2  次に、原告が清宮接骨院で診察を受けるに至るまでの間に以上の各作業に従事した期間等について見るに、原告がボトルへのフイルム差し作業に従事した期間は昭和四七年四月六日から同月中旬までであり、ボトルの箱詰め作業に従事した期間はその後から同年八月一七日までであつたこと、それらの作業時間は通常午前九時から午後五時までであり、途中一時間の昼休み時間があつたこと、原告が昭和四七年八月一八日に玉の肌石鹸への出張検査作業に出かけたことは、いずれも当事者間に争いがなく、また、原告が出張検査作業に出かけた回数は、原告の主張がすべて認められるとしても、右の玉の肌石鹸への出張を含めて、合計三度位にすぎない。

そして、〈証拠〉と弁論の全趣旨とを総合すれば、昭和四七年四月六日から同年八月一八日までの間には、日曜日その他の大日本ポリマーの休業日が合計二四日あつたほか、原告の欠勤した日が合計一九日あつたこと、従つて、右の間に原告が大日本ポリマーに出勤した日は合計九二日であつたこと、なお、その間に原告が一、二時間程度の残業に従事した日が二〇日前後あることが認められる。

3  他方、原告が大日本ポリマーに雇用される以前における原告の経歴、病歴等について見るに、〈証拠〉を総合すれば、次の各事実が認められる。もつとも、これらの点については、原告は、その本人尋問においても詳述することを欲しないかのように見えるし、その他の積極的な立証もしないので、これらの点を右の認定以上に詳細かつ具体的に認定することができないのは遺憾である。

(一)  経歴

原告は、昭和一三年一月二五日生れで、同三一年三月に私立国府台女子学院(高等学校)を卒業した後、家事手伝い、事務員、製本工、電気製造組立工、食堂賄い、和文タイピスト等の職を転々とし、昭和四五年一〇月ごろから生命保険の外務員の業務に、さらに昭和四六年一〇月ごろから同四七年二月ごろまで(但し午後だけ)チユーインガム、本等の箱詰め作業にそれぞれ従事したうえ、昭和四七年四月から前記のとおり大日本ポリマーに雇用されたものである。そして、以上のいずれの職務も短期間で他に変つているが、原告は、以上のうち電気製品組立工やチユーインガム等の箱詰めの仕事はきつい仕事であつたと述べている。なお、原告は、高校在学中からバレーボールや卓球をやつており、学校卒業後も仕事の合間などを利用してこれらをやつたことがあるほか、マージヤンも好きな方であると述べている。

(二)  病歴

原告は、昭和四三年ごろに不眠症のため二か月間ほど前記の大原医院に入院して治療を受けたことがあるほか、昭和四七年ごろまでに、肝炎、胃炎、盲腸炎やぎつくり腰等に罹り、入院または通院して治療を受けたことがあり、体はそれほど丈夫な方ではなかつた。しかし、原告は、昭和四七年九月に前記の清宮接骨院で治療を受けるまでは、肩、腕等を痛めて医師の治療を受けたことはないという。

4 ところで、頸腕症候群の認定基準に関する労働省労働基準局長の通達(昭和四四・一〇・二九基発七二三号、同五〇・二・五基発五九号、同五三・三〇基発一八六号)と、〈証拠〉とによれば、頸腕症候群とは、キーパンチヤー、タイピスト、レジスター等上肢に過度の負担のかかる業務に相当期間継続して従事した場合などに罹患することのある傷病であるが、業務外の原因によつても罹患しうるものであることが認められる。しかるに、以上の1ないし3において認定した限りの事実関係のもとにおいては、仮に原告が昭和四七年九月八日当時頸腕症候群に罹患していたとしても、原告が同年四月六日以降大日本ポリマーにおいて右1で認定した内容及び程度の業務に右2で認定した期間だけ従事したことが頸腕症候群罹患の原因(但し、相当因果関係を認めるに足りる程度の原因)となりうるものであるか、また、仮に理論上このことを肯定しうるとしても、実際上も、原告の頸腕症候群の罹患が昭和四七年四月六日以降大日本ポリマーでの業務に従事したことによるものであるか、それとも、それ以前に原告の関係した業務上または業務外の原因によるものであるかについて、これを明確に判定することが困難である。そして、本件の全証拠を検討しても、その他にこれを明確に判定するに足りる資料はない(なお、すでに認定したとおり、原告の病名を「頸腕症候群、腰痛症」と診断した岸病院の医師岸広豊も、その発病原因については、「つかれによるものの他に精神的な何かがある為に神経症状が出て来たものと思われる」としているにすぎないし、また、原告の病名を「頸腕症候群の疑い」と診断した国立王子病院の医師西法正も、その発病原因は不明とするほか、「患者の訴えが多く、その割に他覚的所見は余り認められず、治療を止めて良いのではないかと患者に話した、精神的な因子も考えられるケースであつた、」としているにすぎない。)。そうすると、結局、本件においては原告が昭和四七年四月六日以降大日本ポリマーで従事した業務と原告の頸腕症候群罹患との間には相当因果関係を認めることが困難であるといわざるをえない。

四さらに、原告が被告に対してなした本件の休業補償給付の請求は原告が清宮接骨院において治療を受けるためにした休業のみに関するものであるところ、原告が同接骨院で受けた治療が果して原告の主張するとおり原告の業務上の傷病のための治療であつたといえるか否かについて検討する。

1 まず、原告が昭和四七年九月一一日にはじめて清宮接骨院で診察を受けた際、診療担当者の清宮秩男に対し、右肩部を負傷したとしてその原因として、同月八日に自宅付近の歩道橋の階段を降りていたとき、誤つて足を踏み外し手を強くついて負傷した旨申し述べたこと、これに対して清宮秩男は、原告の右申述と、原告の右肩部にかなりの腫脹があり本人がその部分の疼痛を訴えていたことなどから、右肩部捻挫と診断したこと、原告が同月一三日に診察を受けた際に、右とは別個に新しく左右上腕部、背部等を負傷したとしてその原因として、同日自宅で出入口の段を降りようとして、誤つて足を踏み外し転倒した際に負傷した旨申し述べたこと、これに対して清宮秩男は、原告の右申述と、原告の左上腕部等に腫脹や青あざのあるのが認められ本人がその部分の疼痛を訴えていたことなどから、左右上腕部、背部、頸部各打撲と診断したこと、そして、清宮秩男がその後同年一〇月一四日まで原告に対し温罨法と後療法とを施した結果、一〇月一四日の時点では、原告には疼痛は幾分残つていたが腫脹や青あざは治癒していたことは、先に二の2の(一)で認定したとおりである(これらの事実のうち、原告の清宮接骨院での診断名が右のとおりであることは、当事者間に争いがない。)。なお、原告は、昭和四七年一〇月に入つてから清宮秩男に対し、右肩部の負傷の原因を訂正して、会社にて作業中投げ出された木の棒につまづき、よろめいて転倒し手を強くついたため負傷した旨申述したが、その後同月三〇日に館岡接骨院で診察を受けた際には、館岡敏雄に対し、右肩部等の負傷の原因として、同月二九日に自宅玄関で降りる際に負傷した旨申述していることも、先に二の2の(一)及び(二)で認定したとおりである。そして、原告が清宮接骨院(及び館岡接骨院)において診察を受けた際に自己の傷病の原因についてあえて(しかも、再三にわたり)虚偽の申述をしなければならない特段の事情のあつたことを認めるに足りる証拠は存在しないし(この点に関する原告本人尋問の結果の一部は、その内容が曖昧かつ不自然であるのみならず、証人清宮秩男の証言と対比して採用することができない。)、また、清宮秩男の以上の診断を誤診と断定すべき証拠も存在しない(たしかに、原告がその後大原医院、岸病院、国立王子病院、東京女子医大第二病院等で清宮秩男の右診断とは異なる診断を受けていることは、前記認定のとおりであるが、右各病院での診断は清宮接骨院での診断とは診断時を異にしているのみならず、本件において以上のいずれの診断を正当とし、不当とするかを判定するに足りる資料がないことは、前記したとおりであるから、右の事実だけから清宮秩男の診断を誤診であると速断することはできない。)。

2  清宮接骨院での右診断に関して、原告は、大日本ポリマーが同会社での労働災害の発生を隠蔽するために原告及び右接骨院に対し何らかの働きかけをした事実があるかのように主張する。しかしながら、〈証拠判断略〉、その他に右主張を肯定すべき証拠は存在しない。また、本件の全証拠を検討しても、原告の主張する傷病についてその原因等を外部に隠蔽しなければならないような事情が昭和四七年当時大日本ポリマーに存在したとは認められない。却つて、〈証拠〉を総合すると、大日本ポリマーには原告の傷病についてこれを外部に隠蔽しようとするような意思は全くなく、むしろ、原告の傷病の原因及び病名の解明やその治療及びそれに関する休業補償給付の請求に協力していること、ただ原告が前記のとおり幾つもの病院等で診察を受けながら、その都度診断病名が異なり、その原因もはつきりしなかつたところから、被告に対する休業補償請求書の提出が遅れたにすぎないことが認められ、この認定に反する〈証拠〉は、右各証拠に対比して採用することができない。

なお、〈証拠〉と弁論の全趣旨とによれば、大日本ポリマーは、本件の清宮接骨院での治療のための休業を含む、昭和四七年九月から少なくとも同四八年二月に至るまでの原告の治療のための休業に関し、原告に対して、その平均賃金の六割相当額の補償金を支払つていることが認められる。しかしながら、右証言によれば、これは、前記認定のとおり原告の傷病原因等の解明が手間取り、昭和四七年の年末に至るもその原因が原告の業務と全く無関係であるとまでは断定できなかつたことや、その当時原告が生活費等に困つていたことなどから、大日本ポリマーが原告の立場に同情して取りあえず支払つたものであり、しかも、大日本ポリマーがその補償金を最初に支払つたのは、原告が清宮接骨院のほか、館岡接骨院、大原医院、岸病院でも診察を受けた後である昭和四七年の年末であつたことが認められるから、右補償金の支払いの事実をもつて、大日本ポリマーが労働災害の発生を隠蔽するために原告ないし清宮接骨院に対し何らかの働きかけをしたなどの事実を裏付ける資料とすることはできないというべきである。(むしろ、大日本ポリマーがすでに原告に対して右のような金額の補償金の支払いをしているとすると、仮に原告の清宮接骨院での治療のための休業が原告主張のとおりその業務上の傷病によるものであると認められる場合でも、原告がその休業に関し右補償金のほかに労働者災害補償保険法による休業補償給付の支給を請求することは許されないことになるといわざるをえないように思う。しかし、この点は、本件休業補償不支給処分の決定ないし審査(再審査を含む。)の手続においても、本件訴訟においても、関係当事者間の争点にはなつていないので、ここではこれ以上問題にしない。)

3  そうすると、少なくとも原告が清宮接骨院で受けた治療は、原告の業務外の傷病である右肩部捻挫及び左右上腕部、背部、頸部各打撲のための治療であつたというべきであつて、原告の主張するようなその業務上の傷病のための治療ではなかつたといわざるをえない。

五以上に検討したところから判断すると、原告の傷病は業務上の事由によるものとは認められないとして、被告が昭和四八年六月二一日付で原告に対してなした、原告が清宮接骨院で治療を受けた昭和四七年九月一一日から同年一〇月一四日までの間の休業補償給付を支給しない旨の処分には、何ら違法があるとはいえないから、その処分の取消しを求める原告の本訴請求は、これを失当として棄却すべきである。〈以下、省略〉

(奥村長生)

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